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[レース] 小石選手TOJで山岳リーダーに!

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コーチしている小石祐馬選手(Team UKYO)がツアー・オブ・ジャパン第二ステージいなべで100km近くも逃げて山岳リーダーになりました!

 

いなべは通称”イナベルグ”と呼ばれる激坂区間もあるハードなコースです。

その難コースでワールドツアー経験もあるダミアン・モニエ(愛三工業)と共に逃げて二回の山岳賞を一位で通過。

見事に山岳リーダー輝きました。

東京までこのジャージをキープできるように頑張っていただきたいと思います。

皆様の応援をよろしくお願い致します!

 

写真クレジット
(株)KATAYAMA PLANNING

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[市川雅敏] レースを走りきる為の戦術

GWに各地のレースに参加された方も多かったのではないでしょうか?

望んだ成績が出せた方もそうでなかった方もいらっしゃるかと思います。

中には完走することが出来なかった方もいるかもしれません。

 

今日は市川雅敏さんが実践した「レースを走りきる為の戦術」をご紹介しましょう。

 

レースを走り切るための戦術の大前提は「パニックに陥らないようにする」です。

どんなに強い選手でも集団からちぎれてリタイアに追い込まれた経験はあります。

平坦のレースなら優勝を狙えるスプリンターは山岳コースではいつもタイムリミットとの戦いになります。クライマーなら強風が吹くオランダの平坦路で完走するのは難しいでしょう。

いつもなら難なく完走できるレースが、ホンの少しの体調の変化でグランツールのクイーンステージに感じるほどキツく感じることだってあります。そんな時にパニックに陥らず冷静に対策を講じれば完走への道はひらけます。

 

1.目標を刻む

集団で走るロードレースでは苦しい時間帯が必ずあります。

例えば120kmのロードレースの50km地点でペースが上がったとします。

「まだ半分も走っていないのに今にもチギれそうだ。どうやってあと70kmも走れば良いんだ!?」とフィニッシュまでの距離を考えて絶望的になってしまいますが、こういった時に使えるテクニックがあります。

それは「目標を刻んで今できる事に集中すること。」

 

レースでは苦しい時があるとともに同じペースでもラクに感じる時間帯もあります。また実際にペースが落ちる瞬間もあります。

ですからゴールまでの距離を考えるのではなく「ここを超えたらペースが落ちる」「この山を乗り越えたら、下った後の次の平坦で休める」と考え、そこまで生き残ることに集中すると良いです。

 

2.軽量化する

登りでペースが上がった時に生き残る為に体を身軽にして苦しい局面をやり過ごす方法です。

 

補給食は捨てるか、初めから最小限しか持たず、ダブルボトルはシングルにしてしまいます。 ボトル1本で570g、補給食も捨てれば800gほども軽量化出来ます。更には残った1本のボトルの中身も最小限にすれば周囲の選手に対して1kg=フレーム1本分軽量化することも可能です。

 

Wも余力がない時にこの差は大きいですし、何よりも「重いものを捨てて身軽になった。」「自分は他の選手より軽い状態で走っている」という精神的アドバンテージを得られます。

無事に危機的局面をやり過ごすことが出来れば、その後で補給を貰えば良いわけです。

 

3.消化を考える

フィニッシュまでの距離を考えて補給を食べるのではなく、ペースが上がった時に胃の中に食べ物が残っていないように考えて補給を摂ります。

レースでの基本はフィニッシュを迎えた時にちょうどお腹が減るように計算して補給を食べることですが、完走が危うい時はそうも言ってられません。

自分にとっての勝負どころで全力を出せるように調整するべきです。

血液は胃ではなく、足に酸素を運ぶ為にとっておくべきです。

 

パニックに陥らないためには?

肉体的・精神的にイッパイの時にあまり先のことまで考えてしまうとパニックに陥ります。

苦しい瞬間にまだゴール地点まで70kmもあることを考える必要はありません。考えても絶望的になるだけだからです。

 

上記のようにまずは目の前の危機を乗り越えることに集中して、それを乗り越えれたらまだ少し先のことを考えるようにしましょう。

 

市川さんがジロ・デ・イタリアに参加したときのこと。

山岳ステージでどうにも体調が優れず集団からチギレそうになった時、監督のダニエル・ギジガーがだしたアドバイス。

「マサ、補給食も要らないボトルも捨てて、後ろに下がれ!グルペットまで落ちても大丈夫だ。」と声をかけたそうです。

 

総合順位を落とさないように無理に先頭集団に食らいついていたら、切れた瞬間に全く脚に力が入らなくなりリタイアに追い込まれる可能性があります。

しかし、落とせるところまでペースを落として回復を待ち、何とかグルペットでフィニッシュすれば、少なくとも翌日に進むことは出来ます。

レースでは最高の結果を得たくなりますが、時には目標を落として最善の結果にまとめることも必要です。

 

目標を落とせば精神的にも余裕が生まれます。

「切れたら終わりだ」と考えるよりも「まだ後ろに下がっても大丈夫だ」と考えて、そこからステップアップするほうが上手く行きます。集団で丘を越える時は前にいるのがセオリーではあります。しかし、オールアウトになるまで前にいるのは必ずしも最善ではないです。位置をずらしながら回復を待ち、どこかで再度前に上がる機会を伺うのも手です。

プッツリ切れてしまわないようにマネージメントするのが重要です。

 

また市川さんのケースでは「自分は切れたのではなく、監督の指示で下がった。」と考えることが出来るのもメリットです。

精神的なダメージを一身に受けなくて済むからです。

 

まとめ

大切なのは自身が苦しくなってしまう前に”臨戦態勢”にしておくこと。そして目標を細かく刻んでクリアしていくこと。

レースのペースアップは誰もコントロール出来ませんから、自身がコントロール出来ることに集中するのが大切です。

 

市川さんはレースを長距離のレースでもスキンスーツとシングルボトルでスタートし、苦しい局面を超えてからボトルと補給食を受け取ることを試したこともあるそうです。

まだレースを完走出来ない若手に市川さんがするアドバイス

「苦しい時にレースの最後までを考えてはいけない。」

「ひとつひとつの目標をクリアして勝利に近づいて行くこと。」

 

皆さんの最終的なゴールに到達するための参考になれば幸いです。

 

 

Masatoshi Ichikawa Hunter Allen

 

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20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
20 May1990
73rd Giro d’Italia
Stage 02 : Consilina – Vesuvio
ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank – Toyo, at Vesuvio
Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
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日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1983年

 

 

”プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。”

 

 

初めて欧州遠征に行った時を思い出して市川さんはそうつぶやく。

 

それからたった3年でベルギーヒタチチーム(ディビジョン1、現在のワールドツアー)に入れる実力をつけた市川さん。

意外にクローズアップされることの少ない、ワールドツアーへの道程。

彼の足跡を振り返ることで、一つの道をご紹介したいと思います。

 

これからヨーロッパを目指す若い選手、ワールドツアー観戦者の参考になればと思います。

 

20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan

 

 

市川さんは本場で武者修行する為に1983年 鉄沢孝一氏(現アラヤ工業)とイタリアに渡る。日大時代に全日本選手権3位※になるなど既に高い実力を持っており、卒業後は実業団に入ることもできたが、本場イタリアでチーム探しから始めることを選択。

その後スイスに拠点を移し活動。プロ・アマ混走のシリーズ戦アリーフに参戦。

 

当時スイスはプロ・アマともに世界屈指のレベルを誇っており、ツールで区間優勝したセルジュ・デミエール、後にマイヨ・ジョーヌを着るエリック・メヒラー、ツール総合3位に輝くウルス・ツィマーマンなどが所属するチロ・アウフィーナが全盛期。彼らもアリーフに参戦していた。

 

アリーフはハンディキャップ・レースになっており80名ほどのエリートアマチュア・チーム(現在のコンチネンタルチーム)が先にスタートして、最大でも20名ほどのプロが後を追う。

ハンディは1kmにつき1秒(例: 120kmのレースでは120秒)。

しかしハンディにも関わらずプロはものの数10kmで市川さんを含むアマの集団に追いつき追い越してしまう。

 

 

「レベルが違いすぎる。」

 

 

市川さんはプロとのあまりの実力差に呆然としたという。

 

そのような中でも1983年当時日本選手として久しぶりにアマチュア世界選手権に完走し実力を証明。

日本人として久しぶりの世界選完走という達成感と知ってしまったプロとの歴然としたレベルの違い。

この2つからを比べると後者のショックの方が大きかった。
その為、この年を区切りに自転車競技を諦め実家の家業を継ぐ気持ちもあったという。

 

「プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。」

 

それから3年。

4勝すればプロになれると言われていたエリートアマのレースで8勝。

ヨーロッパの新聞を賑わせた日本人の青年は3チームのディビジョン1(現在のワールドツアー)から誘いが来るまでになる。

 

彼へのインタビューを元にその足跡を追ってみたいと思う。

 

※当時はU23のカテゴリーがなく、U23・エリート混走

 

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ツール・ド・ラブニールでツールマレー峠を攻める (c)市川雅敏

 

 

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チーム・ミチホの遠征で故森幸春氏と   (c)市川雅敏

 

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

イベント申し込みページ:

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html