に投稿 コメントを残す

プロ自転車選手にブルーマンデーはある? クリス・ホーナー

バイシクルクラブのWeb版 Funqに「プロ選手ブルマンデーはあるの?」を掲載頂きました。

クリス・ホーナーは、インタビューのあいだ、常に朗らかで話しやすい印象でした。

コミュニケーション能力に長けていて、いかにも多国籍のチームでも上手くやっていけそうな人柄だと感じました。プロというのは足が強ければそれで良いというものではありません。チームメートと協力関係を築き共通のゴールに向けて”一緒に仕事をする”能力が問われます。

そのような中で、仕えたくなる上司もいれば、そうでない人もいる。やりやすい同僚も居ればそうでない人もいる。何のストレスもなく自転車に乗っておけば良いというのは幻想で、一般社会人と同じ常識やストレスマネージメント力が必要なのだと感じさせられるホーナーの言葉でした。

Peaks Coaching Group – Japan

中田尚志

 

 

に投稿 コメントを残す

夢を見続ける 33才でツール初出場を遂げたクリス・ホーナー

2013年ヴェルタ・ア・エスパーニャで総合優勝したクリス・ホーナーにインタビューすることが出来ましたので少しずつシェアしていきたいと思います。

33歳という異例の遅さでツール・ド・フランスに初出場したクリス・ホーナー。

そこに至るまでの道のりから、海を越えてヨーロッパで活動する選手の苦労を知ることが出来ます。

(1)ツール出場の夢

ホーナーはアメリカ国内のステージレース、’96年ツアー・オブ・デュポンのステージ優勝がきっかけでヨーロッパのチームと契約しました。

アトランタ五輪の為にアメリカ入りしていたフランス人・アラン・ギャロパンの目に留まり、フランセージュ・デジュ(現FDJ)入り出来たのです。

それまでの給料は月に3万円。「今週末のレースで賞金を取らなければ、来週から仕事を探さないといけない。そんなことが自分のキャリアの中では何度もあった」

アメリカではチームのサラリーだけで生計を立てるのは難しい為、賞金をあてにする不安定な生活が続いたといいます。

晴れてプロになりフランスでの生活を始めるも彼はすぐにホームシックになってしまいます。カリフォルニア育ちの彼にとってパリの冬は寒すぎたし、まだインターネットもスマートフォンもない当時は物理的距離と共に精神的な距離が遠い時代でした。

外国暮らしのストレスから成績は伸び悩み、”悲惨だった”というフランセージュ・デジュでの生活ですが、それでも彼は少年時代からの夢だったツール出場のチャンスを掴みます。

チームの選考レース、ミディ・リブレ最終日の朝、監督から「クリス。君はツールのメンバーに選ばれた。」と告げられます。しかし夢が叶ったと思ったのも束の間、最終ステージで落車し手首を骨折。ツール出場の夢はあえなく消えてしまいました。

(2)2度目のチャンス

フランセーズ・デジュを退団後、’00-01年はアメリカ国籍のマーキュリーに移籍。アメリカに住みつつヨーロッパ遠征に行けるこのチームはホーナーにとって新天地になるはずでした。

チームはFICPランキング6位に位置している為にツールの出場権を持っていました。ここで彼にとって2度目のツール出場のチャンスが訪れました。しかしツール・オーガナイザーのASOはフランスチームを優先し、マーキュリーの出場を却下。ツールを最大の目標にしていたチームはこの出来事が原因でシーズン途中で解散。ここでもホーナーのツール出場のチャンスは露と消えました。

Chris HORNER leader overall winner.(c) Chris Horner

 

(3)3度目のチャンス

マーキュリー解散後はアジアや国内のレースを主に活動するアメリカ国内のプロ/アマチームに在籍し、多くのレースに勝利します。ヨーロッパ行きの夢は持ち続けてはいましたが、チームの規模から断念せざるをえなかったと言います。

2004年ヴェローナで行われた世界選手権。その年一度もヨーロッパで走るチャンスがなかったにも関わらず8位入賞を成し遂げます。ここでスペインのプロチーム、サニュエ・デュバルと仮契約。テスト生として走ったジロ・デ・ロンバルディアで11位に入り正式にオファーを受けます。

国内チームから多額のオファーがあったにも関わらず、ツール出場の夢を叶えるためにサニュエ・デュバルと最低年俸で契約。アメリカの家の家賃を前払いしたあと所持金は殆ど残っておらず、ヨーロッパの空港に着いた時は1万4000円しか財布に入って居なかったそうです。

Embed from Getty Images

優勝したオスカー・フレイレの後ろに星条旗を着たホーナーが見える

 

(4)骨折

’05年シーズンにチームから渡されたレースプログラムはツールでは無くジロ出場。ホーナーはジロでステージ優勝しツールのメンバーに選ばれることを目論みます。

しかし、ジロ前のレースで落車骨折。ステージ優勝どころかジロへの出場も叶いませんでした。そこで次に考えたのが全米選手権優勝。チームはスコット社のバイクに乗っていたので、ここで勝てばメーカーとして星条旗のジャージを推してくれると考えたわけです。しかし結果は3位。

それでもホーナーはツール出場の夢を諦めきれずツール前最後のビッグレース、ツール・ド・スイスでの活躍に賭けます。

 

(5)ツール・ド・スイスでの成功

Embed from Getty Images

スイスの時点でチームは既にツールのメンバー選考を終えており、ステージ終了ごとに「ツールに出たい」と頼んでも監督の答えは毎回ノー。「 メンバーはもう決まっている」。

そこで監督の考えを覆すには総合上位に入るかステージ優勝するかしかないと彼は考えます。

ホーナーは最後の望みをかけて走り続け、第6ステージで遂にステージ優勝を飾ります。

レース後、監督の元を訪ねると「OK. 君はツールに行ける」と告げられツール初出場が決まりました。

 

(6)夢のツールへ

 

Embed from Getty Images Embed from Getty Images Embed from Getty Images Embed from Getty Images

こうしてクリス・ホーナーは33才にしてツール初出場の夢を叶えました。

「例えば飛行機に乗った時に隣の乗客と話すとする。仕事はプロの自転車選手だよって話したら、たいてい次の質問はこうだ。”ツール・ド・フランスには出たことがあるの?”多くのレースに勝ち、30歳を超えていた僕のキャリアに足りないのはツール出場だけだった。」

初めてのツールは、人の壁をくぐり、シフトチェンジの音さえ聞こえないほどの歓声の中を走れたと言います。

「その年は逃げに乗ったり、グルペットに入ったりして、色々な角度からツールを楽しむことが出来た。遂に僕は33歳でツール・ド・フランスに出たんだよ!」

 

大変な苦労をしてツール出場の夢を叶えたホーナーですが、彼と話していると、”執念のツール出場”といった言葉は相応しくないと感じます。

どちらかというと何歳になっても夢を見続けた結果で、そこに悲壮感は感じられません。

ラストチャンスというのは自分が勝手に決めた限界で、失敗しても「また別の方法でチャレンジすればいい。」と再チャレンジする精神が彼をツールに導いたのだと思います。

夢を追い続けたホーナーのストーリーから我々が学ぶことは沢山あると思います。

Peaks Coaching Group Japan
中田尚志

* Peaks Coaching Group Japan では現在クライアント募集中です。
パワートレーニングにご興味のある方は是非お問い合わせ下さい。
takashi*peakscoachinggroup.com
*を@に代えてご送信下さい。

 

クリスホーナーのYoutube チャンネル ”バタフライ・エフェクト”

動画前半でスイスでチャンスを掴みツールのスポットを得たことを話しています。

 

に投稿 コメントを残す

[Race] 親切にしよう

At the 2008 Cascade Cycling Classic in Bend, Chris Horner of team Astana hauls fallen rider Billy Demong, from another team, two kilometers uphill to the finish of Stage 5. (C) Chris Horner

 

2008年、アメリカのステージレース「カスケード・クラシック」でのひとコマ。

クリス・ホーナー(当時アスタナ)はアシストを終えフィニッシュに向かう登りで、血を流し壊れた自転車を押す少年を発見しました。
不憫に思った彼は少年に「ヘイ!乗っていけよ」と声をかけて、二人乗りでゴールしました。

自転車レースは不思議なスポーツで、勝つにはライバルを蹴落とさなければならないですが、勝負と関係のないところでは助け合う必要があります。
それにレースから離れれば同じ自転車を愛する仲間ですから、困った人が居たら助けるのは当然です。
ついついギスギスしがちなレースの現場ですが、こういった気持ちは忘れないでいたいですね。

先日、クリス・ホーナーをインタビューしました。
近日中に公開予定ですのでお楽しみに!

アメリカは割とコーチや監督が「親切にしなさい。」「助けてあげなさい」と言います。

日本で私の少年時代のコーチ(部活の顧問)は「トラブル(落車)に遭うのは彼が間抜けだからだ」と困っている人を嘲笑し、私も含めて周囲は同調していました。彼は武士に情けは無用とでも教えたかったのでしょう。ですから最初にこの言葉を聞いた時は衝撃的でした。

どちらが人間的に正しいかは言わずもがなですが、レースの緊張が選手にこういった判断力を失わせることは、ままあります。
選手に気合を入れるため、また競争心をあおるためにこういったことを言うコーチも多く見てきました。安全面への意識が低い選手に緊張感をもたせる為に落車した選手をバカにするコーチも居ました。「自分が落車したらあんな目に遭わされる」と教えたかったのでしょう(もっと別の方法があるはずですが)。

若い時にこういった先輩選手に出会っていたら・・・とは今更ながら思いますね。

Peaks Coaching Group Japan
中田尚志

* Peaks Coaching Group Japan では現在クライアント募集中です。
パワートレーニングにご興味のある方は是非お問い合わせ下さい。
takashi*peakscoachinggroup.com
*を@に代えてご送信下さい。