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[市川雅敏] レースを走りきる為の戦術

GWに各地のレースに参加された方も多かったのではないでしょうか?

望んだ成績が出せた方もそうでなかった方もいらっしゃるかと思います。

中には完走することが出来なかった方もいるかもしれません。

 

今日は市川雅敏さんが実践した「レースを走りきる為の戦術」をご紹介しましょう。

 

レースを走り切るための戦術の大前提は「パニックに陥らないようにする」です。

どんなに強い選手でも集団からちぎれてリタイアに追い込まれた経験はあります。

平坦のレースなら優勝を狙えるスプリンターは山岳コースではいつもタイムリミットとの戦いになります。クライマーなら強風が吹くオランダの平坦路で完走するのは難しいでしょう。

いつもなら難なく完走できるレースが、ホンの少しの体調の変化でグランツールのクイーンステージに感じるほどキツく感じることだってあります。そんな時にパニックに陥らず冷静に対策を講じれば完走への道はひらけます。

 

1.目標を刻む

集団で走るロードレースでは苦しい時間帯が必ずあります。

例えば120kmのロードレースの50km地点でペースが上がったとします。

「まだ半分も走っていないのに今にもチギれそうだ。どうやってあと70kmも走れば良いんだ!?」とフィニッシュまでの距離を考えて絶望的になってしまいますが、こういった時に使えるテクニックがあります。

それは「目標を刻んで今できる事に集中すること。」

 

レースでは苦しい時があるとともに同じペースでもラクに感じる時間帯もあります。また実際にペースが落ちる瞬間もあります。

ですからゴールまでの距離を考えるのではなく「ここを超えたらペースが落ちる」「この山を乗り越えたら、下った後の次の平坦で休める」と考え、そこまで生き残ることに集中すると良いです。

 

2.軽量化する

登りでペースが上がった時に生き残る為に体を身軽にして苦しい局面をやり過ごす方法です。

 

補給食は捨てるか、初めから最小限しか持たず、ダブルボトルはシングルにしてしまいます。 ボトル1本で570g、補給食も捨てれば800gほども軽量化出来ます。更には残った1本のボトルの中身も最小限にすれば周囲の選手に対して1kg=フレーム1本分軽量化することも可能です。

 

Wも余力がない時にこの差は大きいですし、何よりも「重いものを捨てて身軽になった。」「自分は他の選手より軽い状態で走っている」という精神的アドバンテージを得られます。

無事に危機的局面をやり過ごすことが出来れば、その後で補給を貰えば良いわけです。

 

3.消化を考える

フィニッシュまでの距離を考えて補給を食べるのではなく、ペースが上がった時に胃の中に食べ物が残っていないように考えて補給を摂ります。

レースでの基本はフィニッシュを迎えた時にちょうどお腹が減るように計算して補給を食べることですが、完走が危うい時はそうも言ってられません。

自分にとっての勝負どころで全力を出せるように調整するべきです。

血液は胃ではなく、足に酸素を運ぶ為にとっておくべきです。

 

パニックに陥らないためには?

肉体的・精神的にイッパイの時にあまり先のことまで考えてしまうとパニックに陥ります。

苦しい瞬間にまだゴール地点まで70kmもあることを考える必要はありません。考えても絶望的になるだけだからです。

 

上記のようにまずは目の前の危機を乗り越えることに集中して、それを乗り越えれたらまだ少し先のことを考えるようにしましょう。

 

市川さんがジロ・デ・イタリアに参加したときのこと。

山岳ステージでどうにも体調が優れず集団からチギレそうになった時、監督のダニエル・ギジガーがだしたアドバイス。

「マサ、補給食も要らないボトルも捨てて、後ろに下がれ!グルペットまで落ちても大丈夫だ。」と声をかけたそうです。

 

総合順位を落とさないように無理に先頭集団に食らいついていたら、切れた瞬間に全く脚に力が入らなくなりリタイアに追い込まれる可能性があります。

しかし、落とせるところまでペースを落として回復を待ち、何とかグルペットでフィニッシュすれば、少なくとも翌日に進むことは出来ます。

レースでは最高の結果を得たくなりますが、時には目標を落として最善の結果にまとめることも必要です。

 

目標を落とせば精神的にも余裕が生まれます。

「切れたら終わりだ」と考えるよりも「まだ後ろに下がっても大丈夫だ」と考えて、そこからステップアップするほうが上手く行きます。集団で丘を越える時は前にいるのがセオリーではあります。しかし、オールアウトになるまで前にいるのは必ずしも最善ではないです。位置をずらしながら回復を待ち、どこかで再度前に上がる機会を伺うのも手です。

プッツリ切れてしまわないようにマネージメントするのが重要です。

 

また市川さんのケースでは「自分は切れたのではなく、監督の指示で下がった。」と考えることが出来るのもメリットです。

精神的なダメージを一身に受けなくて済むからです。

 

まとめ

大切なのは自身が苦しくなってしまう前に”臨戦態勢”にしておくこと。そして目標を細かく刻んでクリアしていくこと。

レースのペースアップは誰もコントロール出来ませんから、自身がコントロール出来ることに集中するのが大切です。

 

市川さんはレースを長距離のレースでもスキンスーツとシングルボトルでスタートし、苦しい局面を超えてからボトルと補給食を受け取ることを試したこともあるそうです。

まだレースを完走出来ない若手に市川さんがするアドバイス

「苦しい時にレースの最後までを考えてはいけない。」

「ひとつひとつの目標をクリアして勝利に近づいて行くこと。」

 

皆さんの最終的なゴールに到達するための参考になれば幸いです。

 

 

Masatoshi Ichikawa Hunter Allen

 

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20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
20 May1990
73rd Giro d’Italia
Stage 02 : Consilina – Vesuvio
ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank – Toyo, at Vesuvio
Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
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日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1986年

プロへの階段

“25-26才までにプロになれなかったら、その先チャンスはない。”

すでに25才になっていた市川さんにとって残された時間はそう多くはなかった。

勝つ以外にプロになる方法はない。

当時言われていたのは「エリートアマで4勝すればプロになれる。」

84年のスイス、85年の日本でのレースで手応えを掴んでいた一方で未だ欧州では未勝利だった市川さん。

自転車レースは脚力だけでは勝てない。市川さんをエリートアマチュアで勝てる選手に育てたのはマビックチームの監督アルフレッド・デュポルポン。

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市川さんに戦術を教えた監督 アルフレッド・デュポルポン (c)市川雅敏

チームは前年アリーフの年間チャンピオンに輝いていたステファン・ホッジを中心に動いていた。

翌年KASに行くことが決まっていた彼は全てのチームがマークする存在。

既に市川さんの実力を評価していたデュポルポンは、地図を見せながらアタックのポイントを指示したという。

「みんなホッジをマークしている。お前のことは誰も見てないんだから、思い切ってゴール手前から行ってみろ。」

監督が言ってたし、思い切って行ってみるか?

ホッジをマークする他チームを尻目に市川さんが先行して逃げを打つ。そうすると不思議とアタックは決まった。

もし決まらない場合でも他チームと共にホッジが追いついて来て、そこから展開が出来た。

どちらにしても数的有利はマビックチームにあった。

この作戦は上手くハマりホッジと二人で勝利を量産することになる。

栄光の日々

デュポルポンの指示のもとホッジとの二枚看板で活躍した市川さん。

アマチュア版ツール・ド・スイス総合2位になるなど、順調に成績をあげた彼にプロ入りへの更なるチャンスが訪れる。

7月に開催されるビスカイアはバスク最大のアマチュアレース。

歴代の優勝者はペドロ・デルガド(88年ツール・ド・フランス優勝)など、プロで活躍した選手たち。

第一ステージでアルフレッドのアドバイスを思い出し、ポイント賞争いを終えた集団から一気に飛び出し逃げを決める。

「日本で走ったトラックのポイントレースみたいだな。」

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勝利へのアタック! (c)市川雅敏

反応してきた一名と共に逃げ、最後は独走して優勝。

ステージ優勝すると共にリーダーとなりマイヨ・ジョーヌを着用する。

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ビスカイアでマイヨジョーヌを着用する市川さん (c) 市川雅敏

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ステージ優勝し総合でも1位になったことを伝える新聞 (c)市川雅敏

途中でマイヨジョーヌは手放すも最終順位は2位を獲得。

続くルクセンブルグのレースでは遂に総合優勝。この年、最終的に8勝を手にしエリートアマでの地位を確固たるものにする。

 IMG hill climb

日本人・市川雅敏の優勝を伝える新聞 (c)市川雅敏

プロチームからの誘い

市川さんの走りは連日新聞に掲載され大きな注目を集めた。

特にビスカイアは多くのプロチームの監督がバカンスがてら観戦に訪れており、これ以上ないアピールの場になった。

結果、フランスのKASとスペインのプロチームから誘いを受ける。

「プロにはなりたいけど、スペイン語は分からないしな〜。 KAS(当時はフランス国籍)はフランス語圏だしホッジも行く。 だったらKASかな。」

いよいよプロ入りが現実化してきた瞬間であった。

プロへの手応え

最終的に8勝を上げエリートアマではトップに立った市川さん。3年前は、プロとのあまりの実力差に打ちひしがれ欧州挑戦を諦めるつもりだった若者が今やプロチームが注目する選手になっていた。とはいえ厳しいプロの世界でアマチュア時代は天才と言われた選手が数年で消えていくのはよくあること。

しかし、この時既にプロでやれる自信はあったと言う。  と言うのもプロアマオープンのレースで当時ツール・ド・フランスでステージ優勝したベアット・ブロイに登りでそれほど遅れることはなかったし、後にアトランタ五輪で優勝するパスカル・リシャールには登りで絶対に負けない自信があったからだ。

1986年は、大きな自信とプロ契約を手に帰国することになった。

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 市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

イベント申し込みページ:

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html

20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
20 May1990
73rd Giro d’Italia
Stage 02 : Consilina – Vesuvio
ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank – Toyo, at Vesuvio
Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
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日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1985年 その2

突然の朗報

 

1985年は国内転戦をすることになった市川さん。スギノチームでの日々は士気の高いチームメイトやライバルとの研鑽で充実していたという。

そんな入社して間もない5月のある日、奇跡的なチャンスが転がり込む。

 

“スイスに来ないか?”

 当時日本製品は欧州市場を席巻しており、スイスでも評価が高かった。

スギノも例外ではなくスイスの大手バイクショップ、ゲルバーは直接スギノから大量の製品を買い付けていた。

 

ある日スギノの社員がゲルバーからの注文書にMasatoshi Ichikawaと何やら英語で書いてあるのを見つけた。

 

“日本に居るマサトシ イチカワに伝えて欲しい。来年スイスに来てマビックで走らないかと。”

 

渡された注文書に書かれていたのは前年加入が叶わなかったマビックチームからの伝文だった。

 

マビックチームが取引きのあるゲルバーを通してスギノに市川さん探しを頼んで来たのである。

まさかそのスギノに市川さんが居るとも知らずに。

 

同じスイスながらマビックチームは行ったことのないフランス語圏。

スギノには入社したところだし、まだまだシーズンはこれからという5月。

 

しかし心は決まっていた。「ヨーロッパでプロになりたい。」

市川さんは再び渡欧を決意する。

 

この時、すでに24歳。

「25-26歳にはプロになってないと、もうプロ入りのチャンスは来ない。」と聞かされていた市川さんにとって最後のチャンスになることは間違いなかった。

  

ここからいよいよ日本人初の欧州プロ契約を勝ち取る市川さんの快進撃が始まる。

   

セミナーまで10日を切りました!セミナーでお会いできるのを楽しみにしています。

 

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

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20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
20 May1990
73rd Giro d’Italia
Stage 02 : Consilina – Vesuvio
ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank – Toyo, at Vesuvio
Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan