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日本人が世界のトップに立った日 市川雅敏さん

ポガチャルの圧倒的な強さで幕を閉じたティレーノ~アドリアティコ。

実は過去に日本人が山岳リーダーを数日間保持していたことがあります。

日本人初の欧州プロ市川雅敏さん。

 

スイスのフランク・トーヨーに移籍した1900年。雪の多いスイスでトレーニングしていたため、まだそれほど距離を重ねていなかった2月。

温暖なシチリアのステージレースを走ってすぐにティレーノ~アドリアティコに参戦。

コンディションはまだまだこれからという感触だったという。

「厚手の長袖・タイツのスイスから、半袖・半パンのシチリアに行って走りやすかった。トレーニングでは農家のバイクのカゴから落ちたオリーブを拾って食べてみたりしてたね。そしてすぐにティレーノ。たしかスイスには帰らず、シチリアから直接入ったんじゃないかな」

初日に山岳ポイント(GPM)をとれば山岳リーダーになれる。登りが強かった市川さんは、山岳ポイントを取りに行き見事ポイントを獲得。 山岳リーダーになった。

翌日もポイント獲得。 リーダーを守った。

「激坂の上に寺院がある登りにGPMが設定されててさ。遠くから見えるの。見ると(精神的に)足がいっぱいになっちゃうから”見ちゃダメだ~”なんて思いながら走ったね。ポイントが近づいてくると今度は思いっきりもがいてポイントを取った。その後はぶっちぎれてゴールしたのを覚えている。」

ところで何故かその年のみ山岳ジャージが用意されておらず、リザルト上に名前が記載されるのみだったという。

「何でジャージなかったんだろうねぇ。でもスタートのサインに向かうと”現在GPMリーダーをキープしているマサトシ・イチカワです!”なんて紹介してくれたよ」

「リーダーは3-4日キープしたと思う。まだ仕上がってなかったけどね。その時は自分はツール・ド・スイス要員なのかな?って思っていたから仕上げるのは、まだ先だと思ってた。周りもまだそこまでだったね。この後、プーリア、ロマンディとビッグレースが来るから、レース終了後に練習がてら自走で次のホテルまで向かったりしてたね。」

ロマンディではエースのヤールマンをアシストし、チームから高い評価を受けてジロのメンバーに選出される。

日本人で初めて走ったジロでは途中からチームのエースとして走り、総合50位でフィニッシュするといういまだ破られぬ金字塔を打ち立てた。

Peaks Coaching Group – Japan

中田尚志

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ロードバイク激変の時代 市川雅敏のジロ出場を支えた3つの革新

市川雅敏さんのジロ出場を支えたLOOK KG96

記事をサイクルスポーツ様に掲載いただきました!

3年越しで実現出来た企画で個人的にも嬉しかったです。

 

ちなみにこのマシン、当日3時間位かけて磨いたのですが、それでも”良い感じの使われた感”に行き着くまで汚れが落ちませんでした。
フォトグラファー小野口さんの「激落ちくんとかどうですかね?」の一言で近所のドラッグストアへ。
 
これが大正解で、メッキパーツや粘着テープを剥がした跡などキレイにしたいところがピカピカになりました。
まさかジロに出た自転車も30年後に激落ちくんを使って磨かれるとは思ってなかったでしょう。。
 
中田尚志
 
 

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市川雅敏のLOOK KG96

 
 
市川雅敏さんが乗った LOOK Cycle KG96
 
このバイクには現代のバイクを語る上で欠かせない3つの技術革新があった。
 
写真は 小野口健太 さん
動画は今回も 小松 敏夫 さんにお願いしました。
 
記事もまもなく公開です!
 
中田尚志