大阪で強化した日々
前年スイスでのレースに手応えを掴んだ市川さんはエリートアマチュアの強豪マビックチームに入団を希望するも叶わず1985年は大阪にあるスギノチームに加入する。
当時の大阪はシマノ、サンツアー、スギノなど、強豪チームの拠点が集中しており毎週水曜日に関西サイクルスポーツセンターに行けばライバルチームと鎬を削るバトルが出来たという。
市川さんはスイスでの経験を元に大阪で強化に励んだ。
スイスで市川さんの課題となったのは、意外にも下りと平坦。
スイスでは皆が登りに強い為に、登りきった直後の下り、下り切った後の平坦、さらに登りの前でペースが上がり集団を壊そうとする。
何とか登りで集団の最後尾についても、その後の下りと平坦のペースアップで振り落とされてしまう。
また単に登りが強いだけでは坂に入る前に後方に置かれてしまう為に肝心の登りで前に出れない。
「下りが終わった後の平坦の速さは半端じゃないからね。 関西CSCでのトラック練習、トラック練習前後のロード練習、城本量徳さんや八代正さんのバイクペーサー。あれで俺は強くなったよね。
トラック競技は世界のスピードをタイムで知ることが出来るから、同じスピードで走れれば日本に居ても世界に追いつくことが出来るよね。大阪での練習環境は本当に良かったよ。 翌年”一年空いちゃったからな〜”っと思ってスイスに行ったけど、大丈夫だったね。」
市川さんは回想する。
日本で走ったこのシーズンは、ほとんどのレースで逃げ切り優勝。走ればコースレコードのおまけがついた。
当時日本のロードレースは短く伊豆修善寺のCSCでの全日本実業団は60km。
世界のレースが120-160kmであった為にハンデを感じなかったのか?
「ん〜。それが逆に良かったのかもしれないね。 短期決戦だからスピードが速い分、良い強化になったよね。」
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翌1986年スイスを拠点にプロ入りを決定づけた実力の基礎は大阪で作られた。
この事実は国内でも研鑽を積めば、欧州で活躍することを前提としたトレーニングが可能なことを示しています。
当時に比べ身近になったとはいえ、まだまだ欧州を拠点に活動するのは誰にでも出来ることではありません。
1985年当時に欧州遠征を前提にした強化が出来た事実は現在国内で走る選手たちにとって希望になると思います。
日本で勝利を重ねた日々 (c)市川雅敏
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