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[Track] スイスチームのコーチ ダニエル・ギジガー

スイスのコーチを務めるのはダニエル・ギジガー。
ファビアン・カンチェラーラの登場より遥か昔、1980年代のグラプリ・ド・ナシオン(TTレース)でベルナール・イノーやグレッグ・レモンといった当時のスーパースターを破り優勝した元祖TTスペシャリストです。
 
(1)Mr.タイムトライアル
Mr.タイムトライアルと称されたギジガーはエアロパーツやスキンスーツを取り入れた最初のプロ選手と言われています。
機材と共にトレーニング方法の研究にも熱心で新しい手法を採用する事で勝利を重ねてきました。
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(2)コーチとして
引退した直後の1990 年、ジロに日本人として初めて参戦した市川雅敏さんのトレーニングプランを考案したのもギジガーでした。
当時まだ珍しかったピリオタイゼーションを用いて調子を上げることに成功したのです。
 
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PC サイクルスポーツ 1990年8月号
 
写真提供: 市川雅敏氏 
写真提供: 市川雅敏氏
 
トラック&ロード競技を志す若者が減り、近年は選手育成に苦労するスイスですが、それでも彼のコーチングによりスイスは4kmチームパーシュートのタイム更新に成功しています。
ヨーロッパで30年に渡り活躍する彼のコーチング方法は私も非常に興味があります。
 
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Peaks Coaching Group Japan
Nakata Takashi
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平成を駆け抜けたプロロード選手 市川雅敏 その3 

 

「宿題をやらずに学校に来たような気持ちでジロをスタートした」

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1992年の春先、市川さんは落車し入院生活を余儀なくされた。

心機一転1993年はイタリアのナビガーレチームに移籍。しかし、その年も春先に大怪我に見舞われる。
強風で飛んできた木の枝が前輪に入り落車。顔面を骨折してしまったのだ。

3年ぶりにジロ出場のチャンスが巡ってくるも顔にはチタンプレートが入っている状態。全くコンディションが上がらないまま出場する事になってしまう。

「プロロードって興行だからさ、春先のイタリアのレースでその年のジロに使うルートを組み入れて盛り上げるわけ。”5月にはここにジロが来ますよ〜”ってね。オーガナイザーも選手もコースを予習しておける良いシステムだよね。でも93年はそれが走れなかった。ジロには何だか宿題をやらずに学校に来たような気持ちで入った」

 

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こうして始まった2回目のジロだが市川さんは途中まで好走を見せる。

「しっかり準備して出てたら総合で20-30位前後には行けると思ってた。最初より2回目の方が心身ともに余裕あるでしょ。でも春先病院で寝てたんだからそりゃキツいよね。」

走り込み不足は距離への耐性を落としていた。
迎えた土砂降りの第13ステージ。ドロミテ山塊を覆う冷たい低気圧がヒョウを降らせる中、チームカーが上手くジャケットを渡せず体を冷やしてしまった市川さんはフィニッシュ後に体調を崩し翌日には肺炎を起こしてしまう。

ドクターストップがかかり残念ながら2回目のジロはここで終わりを迎えた。奇しくもそれは90年ジロで大ブレーキに見舞われたポルドイ峠を登るステージだった。

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「準備不足でジロに入っちゃったし何だかジロに失礼なことをしたような気がしてた。」

こうして終えたジロは、プロ生活の終わりも意味していた。

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続く

 

#市川雅敏

写真: サイクルスポーツ1993年8月号 三宅寛氏 提供: 市川雅敏氏

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Peaks Coaching Group – Japan
中田尚志