日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1984年


“「チャンスは2回」”

プロのあまりの速さに前年は面食らった市川さんだったが、ある程度コースも分かり強い選手も分かって来たために翌1984年は少しレースが見えて来ていたという。

 

次なる目標は入賞。

 

どうすれば入賞できるようになるのか?

 後にルームメイトになるステファン・ホッジにアドバイスを求めたところ、返って来た答えはこうだった。

 

「マサ、レース中に勝つチャンスは2回ある。一つはスタート後に早めに決める逃げ(アーリーブレークearly break)、そしてもう一つは後半の勝負を決めるアタック( ウィニング・ブレーク winning break)だ。 2回目に乗り遅れたらもう次はないぞ。」

 

 

ホッジの言葉を振り返ってみると確かに自身が出場したアリーフも殆どがこのパターンで決まっていた。

 

「全てのアタックに反応する必要は無いんだな。優勝候補が行った時に全力でついてみよう。」

 

そう考えると俄然レースが見えてきた。

無駄な動きと勝負を決める動き。

 

優勝候補のアタックにオールアウト覚悟で喰らい付いて行くと逃げに乗れようになっていた。

 

「これがレースか。」

 

それまで日本でアタックをどう決めるか?に主眼を置いていた走りから、展開に乗る走りを学んだことで戦術の幅が広がって行った。

勝てる感触をつかんだシーズン後半、ついにアリーフで4位に入賞する。

 

手応えを掴んだ市川さんは翌年もスイスで走ることを希望しスイスの強豪エリートアマ・マビックに加入を打診する。

しかし、交渉がまとまる前に帰国日を迎えてしまう。

当時はメールもインターネットも無かったので直接会って交渉をするしか無かったが、レース転戦を続けるうちに帰国日になってしまったのだ。

 

欧州での活動は一旦終了となり翌1985年は日本の実業団、スギノチームで国内メインの活動を行うこととなった。

 

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日本のバイクメーカー・ツノダがスポンサーするチームと (c)市川雅敏

 

セミナーまで2週間を切りました!お会いできるのを楽しみにしています。

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

イベント申し込みページ:

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html

日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1983年


 

 

”プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。”

 

 

初めて欧州遠征に行った時を思い出して市川さんはそうつぶやく。

 

それからたった3年でベルギーヒタチチーム(ディビジョン1、現在のワールドツアー)に入れる実力をつけた市川さん。

意外にクローズアップされることの少ない、ワールドツアーへの道程。

彼の足跡を振り返ることで、一つの道をご紹介したいと思います。

 

これからヨーロッパを目指す若い選手、ワールドツアー観戦者の参考になればと思います。

 

20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan

 

 

市川さんは本場で武者修行する為に1983年 鉄沢孝一氏(現アラヤ工業)とイタリアに渡る。日大時代に全日本選手権3位※になるなど既に高い実力を持っており、卒業後は実業団に入ることもできたが、本場イタリアでチーム探しから始めることを選択。

その後スイスに拠点を移し活動。プロ・アマ混走のシリーズ戦アリーフに参戦。

 

当時スイスはプロ・アマともに世界屈指のレベルを誇っており、ツールで区間優勝したセルジュ・デミエール、後にマイヨ・ジョーヌを着るエリック・メヒラー、ツール総合3位に輝くウルス・ツィマーマンなどが所属するチロ・アウフィーナが全盛期。彼らもアリーフに参戦していた。

 

アリーフはハンディキャップ・レースになっており80名ほどのエリートアマチュア・チーム(現在のコンチネンタルチーム)が先にスタートして、最大でも20名ほどのプロが後を追う。

ハンディは1kmにつき1秒(例: 120kmのレースでは120秒)。

しかしハンディにも関わらずプロはものの数10kmで市川さんを含むアマの集団に追いつき追い越してしまう。

 

 

「レベルが違いすぎる。」

 

 

市川さんはプロとのあまりの実力差に呆然としたという。

 

そのような中でも1983年当時日本選手として久しぶりにアマチュア世界選手権に完走し実力を証明。

日本人として久しぶりの世界選完走という達成感と知ってしまったプロとの歴然としたレベルの違い。

この2つからを比べると後者のショックの方が大きかった。
その為、この年を区切りに自転車競技を諦め実家の家業を継ぐ気持ちもあったという。

 

「プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。」

 

それから3年。

4勝すればプロになれると言われていたエリートアマのレースで8勝。

ヨーロッパの新聞を賑わせた日本人の青年は3チームのディビジョン1(現在のワールドツアー)から誘いが来るまでになる。

 

彼へのインタビューを元にその足跡を追ってみたいと思う。

 

※当時はU23のカテゴリーがなく、U23・エリート混走

 

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ツール・ド・ラブニールでツールマレー峠を攻める (c)市川雅敏

 

 

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チーム・ミチホの遠征で故森幸春氏と   (c)市川雅敏

 

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

イベント申し込みページ:

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html

 

イリス・スラッペンデールさん来日 


長きにわたって女子ロードの世界でトップ選手として活躍してきたオランダ人 イリス・スラッペンデール(Iris Slappendel)さんが来日されました。

Iris 

2020東京五輪でオランダチームの合宿地に立候補している高知県宿毛市でのサイクリングイベントに参加した後、観光の為に京都に寄られました。

日本で女子チーム High Ambition Womens Cycling Academy X Boardmanを主宰する加藤修さんに夕食をご一緒する機会を頂きました。

夕食時に話をした内容をご紹介したいと思います。

 

ー日本の印象はいかがですか?

昨年に続き2回目ですが、とても楽しいです!食事も美味しいですね。高知県で食べたカツオは最高でした。それに高知にはクルマの少ない静かな道が沢山あるし治安が良いのも魅力的ですね。

 

飛行機を使えば都心部へのアクセスが良いのも五輪合宿地として魅力的ですね。

 

ー京都まではどうやって来ましたか?

自走です!旅をするのが好きですし、レースを離れても色々な道を走るのが好きなんです。

 

ーえっ~! 自走ですか?

ええ。地図もGPSWi-Fiもなかったので道路標識だけを見てここまで来ました。

 

ー 一同仰天

標識が日本語でしか書いていないところがあったので、ちょっと困りましたが美しい風景を楽しみましたよ。

ある日はホテルを予約しないままに日が暮れてしまいました。カフェでたまたま声をかけた人が民宿を経営していたのですが、予約がいっぱいで・・・。

他のホテルを探してくれましたが満室で取れませんでした。

 

そうしたら彼らがリビングルームに簡易のベッドを置いて泊まらせてくれたんですよ!ラッキーでした。日本人は親切ですね。

そういえば今泊まっている民泊はどうやら違法みたいです。泊まるまで分からなかったけど。

でも私は毎日沢山走って帰ってくるのでグッスリ眠れますよ。(一同再度仰天)

サイクリングの補給はバナナとオニギリです。納豆のオニギリが好きで沢山食べました。

 

ーところでバイクレースを始められたキッカケは? 

 元々はスピードスケートの選手だったんですよ。ジュニア時代にスケートとサイクリングを並行してやっていたのですが、スケートよりもサイクリングで成績が伸び始めたので、サイクリングを選びました。

ジュニア時代に世界選ITT2位になったのが大きいですね。当時はオランダ代表になれて喜んでいたのぐらいだったのに、まさか世界選で2位に入れるとは思っていませんでした。

 

ー世界の第一線に居ながら引退されましたがキッカケは?

既に12年もプロとして活動していましたし、トレーニング・食事・回復にフォーカスした生活はもう充分だと思いました。

またある程度まだエネルギーが残された状態で引退した方が次の人生をパワフルに始められると思ったのです。

 

ーオランダの女子は今、世界のレースを席巻していますがその理由はどこにあると思いますか?

それはもう激しい競争に尽きます。 オランダで世界選代表の8名に選ばれれば既に世界でもトップレベルで走れる実力があると言えます。

また私が競技を始めた頃はレースを2名で出走するようなことがありましたが、今は大きなプロトンで走る事ができるほどに女子のレースがメジャーになりました。

 

ーアメリカのレースはいかがでしたか?(彼女はユナイテッド・ヘルスケアの女子チームに所属していた。ちなみに彼女のプロ選手として最後の勝利はアメリカのレース)

アメリカもオランダと同じように世界でトップレベルにあります。ノースカロライナ州アシュビルに住んで活動していましたが、当時破竹の勢いで活躍しだしたコリン・リベラ(現サンウェブ)など個性豊かな選手が多くて楽しかったですね。

 

ー自転車以外の活動に関して教えてください。

私はグラフィックアートのスキルを持っていますので選手生活のかたわらでデザイナーとしての仕事もしていました。 2014年の女子のワールドツアーのリーダージャージは私がUCIに応募し採用されたものです。

また引退後は女子の選手組合を立ち上げました。

女子のレース界は面白い経歴の持ち主が多いのです。プロとして活躍する彼女たちのパーソナリティを知ってもらう事ができたら、より人気が出ると思うしメディアやスポンサーも注目すると思います。

例えばミーガン・ガルニエ(Megan Guarnier ボエルス・ドルマンス)は、大学院を出て核施設で働いた経歴の持ち主ですし、昨年引退したエヴェリン・スティーブンス(Evelyn Stevens)はウォール街で働く銀行員でした。

 

こういったバックグラウンドや個性を知ってもらえたらレースはより魅力的なものになると思います。

他にはコンチネンタルチームのスポーツディレクターを行ったりもしています。引退後も深く自転車界に関わっていると言えますね。

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私の彼女に対する印象はとにかく健康的。 また世界で走っていただけあって行動力が凄いですね。

世界を股にかけて走ろうと思えば多少のことで動じない心の強さが要求されますし、心身共にタフである事がプロ生活を生き抜く鍵になります。

彼女が12年間のプロ生活で得たものはこういったタフさ。そして他国の人ともすぐに仲良くなれるフレンドリーさとコミ
ュニケーション能力(日本語も結構ご存知でした。)ではないかと感じました。

また彼女自身の好奇心(冒険心)の強さが世界レベルの選手へと彼女を導いたのではないかと思います。

夕食を一緒に食べた人みんなが彼女のことを好きになる。そんな魅力の持ち主でした。

 

 

Irisslappendel.com

 

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