[レース] 1992年 ジロ・デッラ・トスカーナ



昨日、市川雅敏さんのお話を書いたので今日ももう少し。
写真は1992年のジロ・デッラ・トスカーナ。市川さんは6位に入っています。
 
 
優勝 ジョルジオ・フルラン(同年ジロ区間優勝)
2位 レオナルド・シエラ(前年ジロ総合7位)
3位 ジャンニ・ファラジン(同年ジロ総合13位)
 

6位 市川雅敏

 
7位 ロベルト・コンティ(同年ジロ総合9位)

 
10位 ゼノン・ヤスクラ(翌年ツール総合3位)
11位 マックス・シアンドリ(同年ジロ区間優勝)
 
18位 アンディ・ハンプステン(1988年ジロ総合優勝)
19位 フランコ・キオッチョ−リ(1991年ジロ総合優勝)
 
先日新城幸也選手も出走していたジロ・デッラ・トスカーナは1923年に始まった歴史ある大会です。
 
当時は5月のジロ・デ・イタリアが始まる前週に行われ、ジロに出場する選手たちの仕上がりを見るレースでした。
各選手のジロの成績を見ると市川さんが如何に凄いところで走っていたかが分かります。
 
この年、市川さんの所属チームはジロ出場が叶いませんでしたが「この年、ジロに出ていたら凄いことになっていたのでは?」とたずねてみたことがあります。
 
市川さんの答えは「直前にチームを移籍して出場するプランもあった。でも出てても1990年よりは走れなかっただろうね」
 
理由は春先に落車し戦線離脱した為に充分にレース数をこなしておらず、急造したコンディションだったために3週間のステージレースには耐えれなかったのではないか?とのこと。
パワートレーニング用語で表現すると「CTLを充分に高めていなかったので、強固なエアロビックベースが出来ていなかった」と表現出来ます。
 
 
急に上げた調子は急に落ちることが多いのはセオリーです。
誰が見ても素晴らしい成績ですが、市川さんは自身のコンディションとプロのレベルを冷静な目で判断する能力も兼ね備えておられたのだと思います。
30年も前のリザルトですが、プロの世界で戦った市川さんの解説と共に眺めてみるといまだに様々なことを教えてくれます。