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[レース] パリ〜ルーベのウイニング・データ

2016年4月のポストの再投稿です。

今見ても非常に興味深いですね。

412TSS, 6,696kJを石畳の上でこなすクラシック。

データから見てもパリールーベは本当に驚異的ですね。

 

今年の闘いも楽しみです!

 

2016年4月16日のPCG-Japan FBより

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15回目の挑戦で北の地獄を制覇したマシュー・ヘイマンのウイニングデータが公開されました!

————-hayman-paris-roubaix-analysis-2016-04086-700x394
ヘイマンのパーソナルデータ
チーム: オリカ・グリーンエッジ
タイプ:アシスト
年齢:37才
プロキャリア:18年目
FTP: 423w
体重: 82kg
P/W ratio: 5.15w/kg
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レースデータ
ロードレースのパワーデータを解析する時、まずチェックするのは時間/TSS/kJです。
距離: 255km
時間: 6h9m(メーター読み)
TSS:412(!!)
消費エネルギー:6,696kJ(!!)
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レース解析
(1)レース時間 6時間9分
フランドルと並びモニュメントと称されるパリ・ルーベ。
2/27に行われたオムループでの落車で腕を骨折したヘイマンはローラーでリハビリを重ね4/2のGPミゲル・インデュラインでレースに復帰したところです。
6時間のレースを戦うスタミナにかなり不安がある状態での参戦となりました。

またスタミナだけでなく高度なテクニックが要求される石畳のレースでは、パリ・ルーベの前に危険覚悟でオムループ、クールネから始まる石畳を含むレースをこなしておくことが必須と言われますが、ヘイマンはこのレースの前に一度も石畳のレースをフィニッシュすること無くレースを迎えています。
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(2)TSS 412tss
最後に優勝をかけて戦った5名の中で唯一前半から逃げに乗りレースをリードしていたのはヘイマンです。
終始高速で走り続けたヘイマンのTSSは412!
1日に1時間のTT約4本分のストレスを体にかけたことになります。
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(3)6,696kJ 
レース中ヘイマンが消費したエネルギー量は6,696kJ(!)
1時間あたり1,097kJ/h。
モニュメントを制する闘いは1,000kJ/hを超えると言われています。このエネルギー量から単に距離が長いだけでなく6時間高強度で走っている事が分かります。

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(4)NP ノーマライズドパワー
「もしペダルを止めずに一定ペースで走ったらどのぐらいのワット数になっていたか?」を表すのがノーマライズドパワーです。
これはAVGパワーでは表せない肉体にかかるコストを計算する為に作られたものです。

パリ・ルーベというと石畳のイメージがありますが、最初の100㎞には実はこれと言った石畳はありません。
100㎞を超えてから徐々に石畳が現れ158㎞地点のアーレンベルグから一気に難易度が増します。
(データを見るとこの辺りでスピードセンサーが壊れています。)

ヘイマンのグループは逃げているもののアーレンベルグまでは、ある程度の様子見で進め、後半はペースを上げているのがNPから読み取れます。

 

NP比較

距離 NP(W) IF
0-100km 342W 0.81
100-158km 328W 0.77
159km-Finish 364W 0.86

 

レース全体 351W←もしヘイマンが一定ペースで走ったら6時間351W を維持出来るという事です(!!)。

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(5)5人の戦い
最後の5人に残り勝負権を得たヘイマンは、ファボリ(優勝候補)と互角に戦います。
石畳で先行したセップ・ファンマルケをとらえたヘイマンは、トム・ボーネンとアタック合戦を演じた瞬間、この日最高の2秒1,273Wを記録します。

2人で逃げ切ると思われましたが、ヴェロドロームを前に吸収。この時までに石畳を27回越え、252kmを走行しており誰にも余裕は残っていません。 ヘイマンは流し先行で3コーナーから早めに仕掛けます。

 

ゴールスプリント
17秒 AVG1,028W Max1,234W

最後に17秒も1,000Wを超えるスプリントが出来ることから、彼が単なるダークホースでなかったことが分かります。

こうしてキャリア109勝を誇るボーネンに勝った、キャリア2勝のヘイマン。
私の知る限り、モニュメントのウイニングデータが公開されるのは初めてです。

じっくり見て頂きたいと思います。

 

出典: Training Peaks Blog 

Power Analysis: Mathew Haymans Victory at Paris-Roubaix

https://www.trainingpeaks.com/blog/power-analysis-mathew-hayman-s-victory-at-paris-roubaix/

 

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日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1985年 その2

突然の朗報

 

1985年は国内転戦をすることになった市川さん。スギノチームでの日々は士気の高いチームメイトやライバルとの研鑽で充実していたという。

そんな入社して間もない5月のある日、奇跡的なチャンスが転がり込む。

 

“スイスに来ないか?”

 当時日本製品は欧州市場を席巻しており、スイスでも評価が高かった。

スギノも例外ではなくスイスの大手バイクショップ、ゲルバーは直接スギノから大量の製品を買い付けていた。

 

ある日スギノの社員がゲルバーからの注文書にMasatoshi Ichikawaと何やら英語で書いてあるのを見つけた。

 

“日本に居るマサトシ イチカワに伝えて欲しい。来年スイスに来てマビックで走らないかと。”

 

渡された注文書に書かれていたのは前年加入が叶わなかったマビックチームからの伝文だった。

 

マビックチームが取引きのあるゲルバーを通してスギノに市川さん探しを頼んで来たのである。

まさかそのスギノに市川さんが居るとも知らずに。

 

同じスイスながらマビックチームは行ったことのないフランス語圏。

スギノには入社したところだし、まだまだシーズンはこれからという5月。

 

しかし心は決まっていた。「ヨーロッパでプロになりたい。」

市川さんは再び渡欧を決意する。

 

この時、すでに24歳。

「25-26歳にはプロになってないと、もうプロ入りのチャンスは来ない。」と聞かされていた市川さんにとって最後のチャンスになることは間違いなかった。

  

ここからいよいよ日本人初の欧州プロ契約を勝ち取る市川さんの快進撃が始まる。

   

セミナーまで10日を切りました!セミナーでお会いできるのを楽しみにしています。

 

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

イベント申し込みページ:

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html

 

20 May1990  73rd Giro d'Italia Stage 02 : Consilina - Vesuvio ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank - Toyo, at Vesuvio Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
20 May1990
73rd Giro d’Italia
Stage 02 : Consilina – Vesuvio
ICHIKAWA Masatoshi (JPN) Frank – Toyo, at Vesuvio
Photo : Yuzuru SUNADA / Slide / Pro Scan
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日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1985年

 

大阪で強化した日々

 

前年スイスでのレースに手応えを掴んだ市川さんはエリートアマチュアの強豪マビックチームに入団を希望するも叶わず1985年は大阪にあるスギノチームに加入する。

 

当時の大阪はシマノ、サンツアー、スギノなど、強豪チームの拠点が集中しており毎週水曜日に関西サイクルスポーツセンターに行けばライバルチームと鎬を削るバトルが出来たという。

市川さんはスイスでの経験を元に大阪で強化に励んだ。

スイスで市川さんの課題となったのは、意外にも下りと平坦。

 

スイスでは皆が登りに強い為に、登りきった直後の下り、下り切った後の平坦、さらに登りの前でペースが上がり集団を壊そうとする。

何とか登りで集団の最後尾についても、その後の下りと平坦のペースアップで振り落とされてしまう。

また単に登りが強いだけでは坂に入る前に後方に置かれてしまう為に肝心の登りで前に出れない。

 

 

「下りが終わった後の平坦の速さは半端じゃないからね。 関西CSCでのトラック練習、トラック練習前後のロード練習、城本量徳さんや八代正さんのバイクペーサー。あれで俺は強くなったよね。

トラック競技は世界のスピードをタイムで知ることが出来るから、同じスピードで走れれば日本に居ても世界に追いつくことが出来るよね。大阪での練習環境は本当に良かったよ。 翌年”一年空いちゃったからな〜”っと思ってスイスに行ったけど、大丈夫だったね。」

 市川さんは回想する。

 

日本で走ったこのシーズンは、ほとんどのレースで逃げ切り優勝。走ればコースレコードのおまけがついた。

 

当時日本のロードレースは短く伊豆修善寺のCSCでの全日本実業団は60km。

世界のレースが120-160kmであった為にハンデを感じなかったのか?

 

「ん〜。それが逆に良かったのかもしれないね。 短期決戦だからスピードが速い分、良い強化になったよね。」

 

— 

1986年スイスを拠点にプロ入りを決定づけた実力の基礎は大阪で作られた。

この事実は国内でも研鑽を積めば、欧州で活躍することを前提としたトレーニングが可能なことを示しています。

 

当時に比べ身近になったとはいえ、まだまだ欧州を拠点に活動するのは誰にでも出来ることではありません。

1985年当時に欧州遠征を前提にした強化が出来た事実は現在国内で走る選手たちにとって希望になると思います。

 

img255

日本で勝利を重ねた日々 (c)市川雅敏

 

セミナーまで2週間を切りました!セミナーでお会いできるのを楽しみにしています。

市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー 

プロ入りからクラシック参戦までを追う

日時: 2018/4/14(土) 13:00~16:00

場所: TKP上野ビジネスセンター カンファレンスルーム2E

参加費: 7,500円(先着割引あり)

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https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01cnwnzfjn0c.html