SNSで悪意を向けてくる相手にどう向き合うか? クリス・ホーナー


Chris Horner stays near the front and out of trouble on his all-red kit…

 

「何もしてはいけない。反論も反応もしてはいけない。そして僕はバイクに乗る」 クリス・ホーナー
 
下記は昨年クリス・ホーナーに行ったインタビューより。
 
2014年 ディフェンディング・チャンピオンとして迎えたブエルタ・ア・エスパーニャ。
 
「前年度チャンピオン、クリス・ホーナーのコルチゾール値が異常。出走不許可。」
 
このニュースにマスコミは色めき立ち、ホーナーは敵意と好奇の目にさらされた。
 
「やっぱりアイツはドーピングをやっていた」
 
41才でグランツール総合優勝。かつてのランス・アームストロングのチームメート。ヨハン・ブルイネールのチーム所属。 
以前に所属していたソニア・デュバルはチームメートのピエポリ、リッコなどがEPOで永久追放。
 
チームメートの薬物汚染と彼が登りに強いことで何度も嫌疑をかけられてきた(クライマーにとって赤血球増加ホルモンは特に効く)。今度こそ逃すまいとプレスは彼を追いかけ、インターネットは荒れに荒れた。
 
彼はキャリアを通して潔白を主張。「フランセージュ・デジュ時代、チームメートの何を摂って何を摂ってはいけないかの議論に疲れていた。それが欧州から一旦引き上げた理由のひとつだ。ドーピング検出の技術があがるほど僕の成績は上向いた。プロトンがクリーンであればあるほどに勝てるようになった。それが僕がクリーンである証明だ。」
 
「2014年。 イタリアのトンネルでクルマに轢かれた。片方の肺はパンクし複数の骨折。それ以来咳が止まらなくなった。そのため、医師に治療薬を処方してもらっていた。実際このクラッシュが僕のキャリアを終わらせたのだけど。 その年のツールに来たメディアなら知っている。僕がいつも咳をしていたことを」
 
「でもインターネット上は僕に対する批判が吹き荒れ攻撃の対象になった。”コルチゾールこそがあいつの強さの秘密だ!”と。咳の治療薬がコルチゾール値に影響を与えていた。もちろんTUEを申請している。でもネットでは恰好の攻撃対象だ。”アイツはズルをしている!”ってね。
 こういった時、反論や反応をしては餌食になるだけだ。真実を知らない彼らは何を言おうと徹底的に叩いて来る。」
 
 
「あの日、僕はブエルタのスタート地点から6時間のライドに出た。 
この年、勝てないのは分かっていた。でもせめてディフェンディング・チャンピオンとしてゼッケンNO.1をつけてレースに出たかった。それはもう叶わない。
 
全てを知っているチームが僕を守ってくれないのもあまりに腹立たしかった。彼らは翌年、僕と契約しないから守る必要が無かったのだろう。
 
でも美しい国立公園を走っている間に頭は整理された。”もう良いじゃないか。誰が何と言おうと僕はブエルタのディフェンディング・チャンピオンだ。そして今日も大好きなバイクに乗って給料がもらえる。人生は素晴らしい。” 僕は頭を整理したい時いつもバイクに乗った。」
 
 
「大騒ぎのチームバスに戻るとプレスは僕を追い回してきた。でももう大丈夫。”OK! 6時間も待ったなら、あと10分待てるだろう。シャワーを浴びさせてくれ”
 10分後、僕はプレスに向き合った」
 
Peaks Coaching Group Japan
中田尚志
 
(c)Graham Watson
 
 

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名古屋地区で怪我のリハビリからパワートレーニングまで広く自転車に携わる
 
山本朋貴コーチ
ITベンチャー企業で激務をこなす中でパワーメーターを駆使して効率的にトレーニングを行い2011-2012年MTB全日本選手権マスタークラスを2連覇
ストラーダバイシクルズ に勤務。ロード、MTB、CXさらにはトライアスロンと、すべての種類のバイクに精通している。
 
 
 
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中田尚志

市川雅敏 x Peaks Coaching Group – Japan セミナー


市川雅敏さんとオンラインセミナーを開催することになりました!

当日に参加できない方には録画のURLをお送りいたします。奮ってご参加下さい。

日本人初のプロ・ロード選手 市川雅敏氏

1987年、日本人として初めて欧州プロ・ロード・チーム、ヒタチと契約した市川さん。

1993年に現役を引退するまで、ジロ・デ・イタリア総合50位、ティレーノ・アドリアティッコで山岳リーダー、ツール・ド・アルプス総合15位など輝かしい成績を残した。

 

今回は同氏にプロの契約を得るまでをお話し頂く。

インターネットも無い時代にどのように渡欧したのか? どんなトレーニングを積んだのか?どのように欧州のレースで勝てるようになったのか?などヨーロッパのプロの世界が聞ける貴重な機会だ。

 

市川雅敏 x Peaks Coaching Group – Japan セミナー概要

・日時: 4/23(土) PM6:00-8:00(録画あり。延長の可能性あり)

・開催方法 zoomオンライン

・料金 2,000円

・先行割引 お申込み時にプロモコード 「PCG200」 を入力すると先着20名200円引き。

・申し込みURL

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01v23npu78921.html

日本人が世界のトップに立った日 市川雅敏さん


ポガチャルの圧倒的な強さで幕を閉じたティレーノ~アドリアティコ。

実は過去に日本人が山岳リーダーを数日間保持していたことがあります。

日本人初の欧州プロ市川雅敏さん。

 

スイスのフランク・トーヨーに移籍した1900年。雪の多いスイスでトレーニングしていたため、まだそれほど距離を重ねていなかった2月。

温暖なシチリアのステージレースを走ってすぐにティレーノ~アドリアティコに参戦。

コンディションはまだまだこれからという感触だったという。

「厚手の長袖・タイツのスイスから、半袖・半パンのシチリアに行って走りやすかった。トレーニングでは農家のバイクのカゴから落ちたオリーブを拾って食べてみたりしてたね。そしてすぐにティレーノ。たしかスイスには帰らず、シチリアから直接入ったんじゃないかな」

初日に山岳ポイント(GPM)をとれば山岳リーダーになれる。登りが強かった市川さんは、山岳ポイントを取りに行き見事ポイントを獲得。 山岳リーダーになった。

翌日もポイント獲得。 リーダーを守った。

「激坂の上に寺院がある登りにGPMが設定されててさ。遠くから見えるの。見ると(精神的に)足がいっぱいになっちゃうから”見ちゃダメだ~”なんて思いながら走ったね。ポイントが近づいてくると今度は思いっきりもがいてポイントを取った。その後はぶっちぎれてゴールしたのを覚えている。」

ところで何故かその年のみ山岳ジャージが用意されておらず、リザルト上に名前が記載されるのみだったという。

「何でジャージなかったんだろうねぇ。でもスタートのサインに向かうと”現在GPMリーダーをキープしているマサトシ・イチカワです!”なんて紹介してくれたよ」

「リーダーは3-4日キープしたと思う。まだ仕上がってなかったけどね。その時は自分はツール・ド・スイス要員なのかな?って思っていたから仕上げるのは、まだ先だと思ってた。周りもまだそこまでだったね。この後、プーリア、ロマンディとビッグレースが来るから、レース終了後に練習がてら自走で次のホテルまで向かったりしてたね。」

ロマンディではエースのヤールマンをアシストし、チームから高い評価を受けてジロのメンバーに選出される。

日本人で初めて走ったジロでは途中からチームのエースとして走り、総合50位でフィニッシュするといういまだ破られぬ金字塔を打ち立てた。

Peaks Coaching Group – Japan

中田尚志