日本人初の欧州プロ市川雅敏さん 1983年
”プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。”
初めて欧州遠征に行った時を思い出して市川さんはそうつぶやく。
それからたった3年でベルギーヒタチチーム(ディビジョン1、現在のワールドツアー)に入れる実力をつけた市川さん。
意外にクローズアップされることの少ない、ワールドツアーへの道程。
彼の足跡を振り返ることで、一つの道をご紹介したいと思います。
これからヨーロッパを目指す若い選手、ワールドツアー観戦者の参考になればと思います。
市川さんは本場で武者修行する為に1983年 鉄沢孝一氏(現アラヤ工業)とイタリアに渡る。日大時代に全日本選手権3位※になるなど既に高い実力を持っており、卒業後は実業団に入ることもできたが、本場イタリアでチーム探しから始めることを選択。
その後スイスに拠点を移し活動。プロ・アマ混走のシリーズ戦アリーフに参戦。
当時スイスはプロ・アマともに世界屈指のレベルを誇っており、ツールで区間優勝したセルジュ・デミエール、後にマイヨ・ジョーヌを着るエリック・メヒラー、ツール総合3位に輝くウルス・ツィマーマンなどが所属するチロ・アウフィーナが全盛期。彼らもアリーフに参戦していた。
アリーフはハンディキャップ・レースになっており80名ほどのエリートアマチュア・チーム(現在のコンチネンタルチーム)が先にスタートして、最大でも20名ほどのプロが後を追う。
ハンディは1kmにつき1秒(例: 120kmのレースでは120秒)。
しかしハンディにも関わらずプロはものの数10kmで市川さんを含むアマの集団に追いつき追い越してしまう。
「レベルが違いすぎる。」
市川さんはプロとのあまりの実力差に呆然としたという。
そのような中でも1983年当時日本選手として久しぶりにアマチュア世界選手権に完走し実力を証明。
日本人として久しぶりの世界選完走という達成感と知ってしまったプロとの歴然としたレベルの違い。
この2つからを比べると後者のショックの方が大きかった。
その為、この年を区切りに自転車競技を諦め実家の家業を継ぐ気持ちもあったという。
「プロになる気はなかった。いや。なれないと思っていた。」
それから3年。
4勝すればプロになれると言われていたエリートアマのレースで8勝。
ヨーロッパの新聞を賑わせた日本人の青年は3チームのディビジョン1(現在のワールドツアー)から誘いが来るまでになる。
彼へのインタビューを元にその足跡を追ってみたいと思う。
※当時はU23のカテゴリーがなく、U23・エリート混走
ツール・ド・ラブニールでツールマレー峠を攻める (c)市川雅敏
チーム・ミチホの遠征で故森幸春氏と (c)市川雅敏
市川雅敏 x Peaks Coaching Group Japan セミナー
プロ入りからクラシック参戦までを追う
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